娘として、母の終活周辺

母の終活について娘として思うことを書きとめていきます

お盆行事8/15

赤飯と刀豆の炊いたもの
赤飯のおにぎりの横には、茄子の塩もみ、そして蒸かしたサツマイモ

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無縁仏様にも同様に

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午後、お墓に松明を焚きに行きます。

夕方、家で松明を焚き、その後近くの河川敷でお線香と松明を焚きに行きます。

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初盆のお家の精霊船が流れます

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これでお盆行事はおしまいです。
仏壇の飾りと提灯を片付けてまた来年まで仕舞います。

葬儀社の互助会について

年末年始の帰省の際に、母より聞かされた話。

「○×セレモニーの互助会に入ったから」

まぁ、いいんですそれは別に。自分で葬儀社を決めておいてくれるのはこちらとしても楽チンです。
問題はその内容。。。
月々3000円の支払いで積み立てて葬儀に必要なものをそろえます、みたいなことを言っていますが、ちょっと見せてみ!と取り上げた申し込み書の約款を細かく見ていくと肝心な費用がいっぱい抜けている。
あぁ、やられたな・・・というのが正直な感想。
まず会場費が入っていません、ドライアイス代も入っていません、対の花代も、あれも、これも・・・。
これではいざという時にあれもこれも追加料金として上乗せしてくるパターンです。
多くはない金額ですし、この互助会様式を否定するつもりはないので、このまま積み立てをしていくのは黙認するつもりですが、機会をみてこの葬儀社に実際のところ一体いくらかかるのか?という見積もりを問いただしに行かねばなりません。
必要経費を算出しておけば、その時に出た請求書に目をむくことは避けられるのではないかと考えます。
年寄りの終活は、独自に走らせることのない様気をつけねばならないと思いました。

その前に、元気なうちに綺麗な写真を撮りたいね(^^)/

在宅看護で親を看取るとき、仕事はやめてはいけない

日曜日の夜、実家からの帰路車の中でTVをつけていた。
音声のみなので画像は見ていないのだが、だいたい内容は把握できたと思う。
あらためて再放送かオンデマンドで見てみようと思う。

www.nhk.or.jp

 

父方の祖母は母が在宅で訪問医の助けを借りて看取りました。
母方の祖父は長男のお嫁さんが、祖母は彼女の4女が、それぞれ自宅で看取っています。
いずれも時代が昭和から平成の始めであったこと、田舎であったことなどが影響しています。
自宅で老人を看取るということは、確実にひとり分の収入がなくなるということで、核家族で子供を抱えた家ではなかなか難しいかと思います。
病院は社会的入院に関しては3か月で転院を余儀なくされ、施設に入居するにもコツを知っておかないと順番待ちが長くなってしまう。
待機中にどんどん看る側の体力がなくなっていくのが目に見えます。

体力というのは、身体のことのみではなく、経済的なことでもあります。
よく、親の介護に子供が仕事を辞めてしまう例がありますが、これは子供自身の今後の生活が成り立たなくなってしまうことを意味します。

まず、現収入がなくなり、社会的地位が弱くなります。
仕事を辞めると、借金が出来なくなるのです。車のローンですら審査が通りません。
現在はクレジットカードで決済することが多くなっていますが、そのクレジットカードが作れなくなるので、退職前に何が何でもクレジットカードは作成しておかないと後々困ることが多いです。
こんなことを考えてから退職をする人は少ないと思いますが、本当に大事なことです。

在宅看護で親を看たいというのは気持ちは痛いほどわかりますが、仕事を続けていけるのであれば賛成です。
しかし、退職してしまうのであれば私は反対です。
まず、地域包括支援センターなどに相談してからよく考えて答えを出した方がいいでしょう。

親を看取るのも大切だけれど、自分の生活も守りましょう。

敷地内に他家の水道管が通っている話

どうやら祖父母時代の話だと思われるが、代々この地に住んでいた我が家は小作農であったが、戦後の農地改革でかなりの土地をほぼタダ同然で手に入れたとみられる。
その際、近隣の田んぼを手にした時点で、自宅とその田んぼの間にある他家を囲う形になった。
それは昨日の記事で書いた廃屋のすぐ横の家で、やはり市道に通じる道のない家である。

問題は道だけではなく、水道にもあったようです。
仮にその家を、T家とする。
水道が引かれたのがおそらく昭和20年代のこと。戦後すぐの農地改革の頃にいくつかの土地を手に入れ、その際に我が家の表側の市道に通っていた水道菅にT家の水道菅が引かれた。
あろうことか我が家の土地を通って。
昔はこういうことはよくあったらしいが、これを亡くなった私の父が知ったのは、貸していた隣家を取り壊す際である。この時点ですでに平成になっている。
取り壊した隣家の後は畑にしたので、問題は発生しなかったのだが、今後私が相続した後に家を建てる際に問題になりそうであるとはたと気づいた。
また、もっと大きな問題は、売却する際に困ったことになるのではないかと危惧している。

 

以上が今回の問題である。
件のT家は住む後継者がいない様で、現在は空き家となり廃屋化しつつある。
住んでいた老夫婦が亡くなった時点で親戚筋に相続されたのだとは思うが、おそらく放置される土地なのではないかと思われる。
なぜなら、市道に隣接していないから建て替えが不可能であるから。
建て替えをしようとすると、我が家の土地の南側か北側のどちらかを道路分として購入するより方法はない。
北側は我が家の家が建っているので不可能、では南側はというと、昨日記事にした例の田んぼである。
亡き父とT家は仲がよくなく、結局手放すことなく父もT家の老夫婦も亡くなった。
相続した親戚が購入の意志を示してきたのならば、母は売ってもいいと考えている。
これについては私も賛成だ。しかし、我が家の北側の土地を通っている水道管の撤去が条件となる。

 

書いていて自分の中でようやく理解が出来た様な気がします。
他人の土地を通らないと行けない所有地が、さらにもうひとつあることに気付きました。
あの畑、どうしよう・・・(>_<)